覚悟を決めて本質で生きる!HAPPY LIFE♡

本質で生きる覚悟を決めたら、身体から、ココロから、マインドから。どの角度でもサポートいたします。

主観を相手にぶつけないコトの大切さ。

今日は2020年6月11日。

 

 

「家、ついていってイイですか?」という番組が好きで

よく観るんだけど

 

昨日は天涯孤独のタイ人のイケメン男性が出ていた。

 

3歳から何故なのかよく分からないけれど、

日本の施設で育った、とのこと。

 

すごい明るくてチャラい若者で

施設でもとても楽しかったし、親の事も恨んでない、と。

 

学生時代に何が一番辛かったか聞かれると

「天涯孤独」「施設育ち」だから

かわいそうって言われるコトがすごくイヤだった、と話していた。

「だってオレ、施設でもめっちゃ楽しく過ごしてたし

かわいそうではなかった。」

 

なんか、それ…よく分かるなぁ!

 

もうコレ、「かわいそう理論」て

名前付けちゃうけど

 

かわいそうって

三者の主観でしかないのに

「あなたってかわいそうだね」とは言わなくてイイと思う。

 

自分の話になるけど

 

私も肌がボロボロだった時、

よくオバチャンとかに

「あら!あなたアトピーなの?

わぁ!かわいそう〜こんななって〜!」

とか言われた事が何回もあるんだけど

 

普段は聞き流せる。

 

一番堪えるのは

自分的に調子イイと思ってる時。

 

そんなタイミングでも

「かわいそうに」と言われると

何とも言えない気持ちになる。

 

辛いけど、

かわいそう、ではない。

どこかでそう思って悔しかった。

 

わかりもしない人に

かわいそうとか言われたくない。

 

 

例えば

貧乏、片親、家がボロい、など

誰かからみたらかわいそうかもしれないけれど

そこにはそこの幸せやあたたかさがあって

 

金持ち、両親健在、家がお城、でも

心の孤独がめちゃくちゃ強い人もいる。

 

病院で働いていた時に

 

めちゃくちゃ可愛いのに

リストカットやめられない人とかたまに見るし

 

裕福な家庭の子供で

眠剤飲みすぎて運ばれたのも見たことある。

 

容姿や身上が恵まれてる=幸せ とは限らないし

そうじゃないから不幸、という訳でもない。

 

タイ人の彼は

「子供が出来たら絶対育てる、施設には入れたくない」

と言っていた。

 

最もだな、と思う。

 

 

私もここまでの経験は

自分にとって財産と今は思えるけれど

 

それは

人の痛みが少しわかるという部分であって

 

同じ経験は他の誰もしなくてイイと思っている。

 

それでイイと思う。

 

自分の過去は否定しないけど

たまたまそうだった、と言うだけ。

 

 

かわいそう、という思いや

なんとかしてあげたい、という思いは

主語が自分、だ。

「私はそう思う」であって

目の前の相手がそう、ではない。

 

時に相手が望んでいない時もある。

 

最近この記事から

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/grundtvig-ramen?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharefacebook

ぐるんとびーという施設の方のTwitterを見ているんだけど

 

とにかく賛否両論で

文字で発信することの難しさと

勝手な理解で感情的になる人の多さを感じます。

 

 

この施設の方のやってる事は

主語が利用者さんなんですが

 

それに対して意見してる人のほとんどが

主語が自分なんですよね。

 

それこそ

上で述べた「かわいそう理論」なんです。

 

実際の当事者って、

かわいそう理論にハマりたい人も

確かに中には、いるんだけど

(聞いて〜かわいそうなワタシ!

かわいそうでしょ〜。で生きていく人。いるいる。)

 

大概の当事者は、

1人の人間(同じ立ち位置)として

扱ってほしいと思っているんじゃないかな。

 

例えば大原 徳治さん(仮名)って人が居たとして

「利用者の大原さん」としてではなく

「○○町の徳治さん」として関わってほしい

みたいな。

 

この違い、伝わる?

 

距離感も

関係性が築けてないうちはダメだし難しいけど

よく腫れ物を触るようにされたくない、というのはちょっとこの「かわいそう理論」と

重なるなと思います。

 

私もセラピストとしてやっているけど

かわいそうだから誰か救いたい、みたいな

思いはなく

 

*素直に本質に近づける場を設けたい

*本来の自分を出せる場があってもイイよね

*自分の感覚を信じて。大丈夫。

*自立(自分の意見を自分で聞く)のために。

*あとは私自身のできることや経験を活かしたい

 

みたいなコトなんだよね。

 

救いたい、とか思ってた事もあるけど

 

そう思うと救われたい人が来る。

 

私、救われたい人は救えないので辞めました。

 

他力本願の人は

そういう人のとこに行ってください。

 

後押しとサポートだけできるけど

結局

決める、進むのは自分の意思だよ。

 

「旦那がこんなコト言うんです〜どうしたらイイですか?」

「アドバイスもらったからこうしてみたけど、次はどうしたらイイですか〜?」

 

…うん、どうしたいんですか。

 

どうしたらイイかは自分で決めるコト。

 

本当はどう思っているのか

を深堀りして知るコトと

あなたが決めたコトをサポートするのが私の仕事。

 

違ったら軌道修正すればイイ。

本当はどう思ってるのかを知るだけでも

相当肩のチカラが抜ける。

 

自分の足で歩けるんだ!と知るだけでも

かなり軸が整う。

 

本当は自分のチカラで歩ける人が

他人軸で歩かず自分の足で歩むよう

サポートをしたいと考えています。

 

令和も2年目になると

私の意識も変わるなぁ。笑。

 

なので…

いまホームページを改めて作る方向で動いています。

なかなか進まなくて、ウムムですが

がんばりまーす!

 

ということで、

最後話がズレちゃったけど

 

主観をぶつけない自分で過ごしたいですね!

 

ではまた!