覚悟を決めて本質で生きる!HAPPY LIFE♡

本質で生きる覚悟を決めたら、身体から、ココロから、マインドから。どの角度でもサポートいたします。

自分を愛する、のカラクリ

自分を愛するところから始まる

とかよく言うけど

 

自分を愛する=自分好き

じゃないといけないと思ってる人、いるかな?

 

私は、そうでした。

 

自分を愛する、ということは

自分を大好きである

ことが前提だと思っていて。

 

でもね

私は正直

あまり自分に対して、好きとかがなくて。

 

細かく言うと

「肉体は器、乗り物」論は、理解していて

肉体自体が私、なワケではない。

というのも理解していて。

 

でもこの3次元では

私=肉体の影響が強い

もんで

「どうしてまた、こんな操作しにくい乗り物を選んじゃったんだろうなぁ〜」

というのが正直な気持ちで。

 

正常運転してる人には理解出来ないコトだと思うけど

あまりにもエラーが多いと

「何でだよオイオイ」という気持ちに時々なってしまうんだよね。

 

まっすぐ行くとこを

毎回右に曲がって最初からやり直ししてたら

そのうちイヤになっちゃうでしょう、

そんな感じ。

 

みんながハイブリッドでスイスイ走っている中で

ガソリンタンクに穴開けて走ってるような感じ。

 

なので、健康で五体満足な方は

その肉体という入れ物に大感謝し、

それを選んだ自分に感謝ですよ〜〜!

めちゃくちゃギフトだと思います。

 

さて

今回も体調崩して思うように動けず

愛してるよ〜と色々と肉体や細胞に送っているけど

ふと

「どうしてまた、こんな操作しにくい乗り物を選んじゃったんだろうなぁ〜」

というのが正直な気持ちは拭えず。

 

つまり私は

正直になればなるほど

「大好きアタシの身体!死んでも離したくない」

とは

なれないことがわかってきた。

 

私は、ね。

 

そして

そうなれない自分に

どこか罪悪感や劣等感みたいのもあって。

(罪悪感や劣等感という言葉にすると

ちょっとニュアンス違うんだけど、1番近い言葉)

 

だから

ある時、ふと

全てを横に置いてみた。

 

自分と自分の肉体を切り離してみた。

 

そして許可を出す。

 

【好き、じゃなくてもイイ。】

 

それを許可してみる。

 

 

あぁ、私はこの肉体、

自分で選んだんだろうけど、好きじゃない。

 

もっとこうであればよかった

もっとあんな風に…

とか

もし他と比べる視点がなかったとしても

 

私はこの肉体は、好きじゃない。

 

 

そうか、やっぱり好きじゃないんだな。

 

なるほど。

 

よし、分かった。

 

もう、好きなフリをしなくてもイイよ。

 

もう、イイ。

 

 

そうやって自分の気持ちの共感者になると

とても腑に落ちたようで

自分の中の罪悪感や劣等感のせめぎ合いも静まる。

 

この分野では、初めての静寂。

 

おさまったところで

 

「じゃ自分のこの肉体、頑張ってると思う?」

と問いかけた。

 

答えは

一言でいうと

『どこの誰よりも私の為にめちゃくちゃ頑張っている』だった。

 

私が好きだろうが好きじゃなかろうが

 

健気に

細胞分裂を繰り返して

心臓が動いて

呼吸で酸素取り込んで

消化吸収もしっかりして

頼んでいないのに

死と再生を繰り返しながら

私を活かすためにめちゃくちゃ頑張ってる。

 

そこに気づいた時に

「あぁ…私、この肉体

好きではないけれど、とても愛おしい」と。

 

よくやってるじゃん!!!

 

そう思った瞬間に涙が出た。

 

好きじゃなくてもめちゃくちゃ愛おしい!!!

 

そう、私はこの肉体を愛おしくは思っているんだ!

 

なんて素晴らしいんだろう。

 

あぁ、愛おしい。

 

そこから私は

私の肉体はさほど好きではないけれど、

とても愛している。

 

好きというのは感情。

だけど

愛は溢れるモノ。

 

これが愛する、のカラクリなのかな

って思います。

 

だから沢山を愛してイイんですよ。

私もそうします!

 

春分のゲートが開く前に

そして開いた後でも、

この感覚は大切ですよ〜✨