生と死について
わぁ、書いてから難しいとこいったなぁ〜
と驚くオカベ。
朝、目がさめて
暗かったからさ、
何時かな?とケータイみたら
すごく好きだった先生の訃報が入ってて。
嘘かと思った。
それと同時にお誕生日の方もいて。
誰かの亡くなった日は、誰かの誕生日。
どんなひどいことがあった日でも
世界のどこかでは生まれていて
どんなにイイ日でも
世界のどこかでは誰かが、お空にかえってる。
世の中、そうできている。
ちょっと前にも、うっすらとでも
死を意識したことがあって、
生きているって当たり前じゃないんだけど
でもさぁ、私たちって
時々、当たり前の顔して生きてんじゃん。
あー、だりぃ…的なこともいっちゃうし
なんだかなぁ…って
なぁなぁに過ごしてる時もあったりして。
それはそれでいいんだけど
それ
誰かの「生きたい時間」なのかもしれないよね。
一緒に働いていた時はそれが日常だったから
当たり前に続くと思っていたし
例えば…そうだな
パートナーとかも、そうよね
一緒にいるのが当たり前だったりするから
いなくなった時の喪失感というのか
いない、ということを実感するのを
日々感じる時があったりして
私は結構時間がかかるなぁ。
ふとした時にそこに感じる存在が
もう近くないとか
もう触れられないとか
それを理解した時に、
「あーいないんじゃんー」って
涙がでるよね。ジワリと。
ずっと一緒にいたわけじゃないのに
今朝の今なので、
ちょっと時間がかかってる。
奥様、娘ちゃんの心情を慮るとなおさら。
亡くなったから、って
居なくなるワケじゃないけれど
それでも肉体から抜けると
存在としては薄くなる。
うちの父が亡くなった時って
亡くなる前に
すごく頑張っていたんだろうね
スーっと面白いくらい
身体に何も残して居なかったんだよね。
思い残し、とかよりも
抜けて戻れたことの喜び、みたいなのが
とても強かったんだよ。
残した娘がこんなだから笑、
多少の思い残しはあっただろうけど。
さて、先生の心境は、如何程か。
いろんな生と死を迎えてもなお
私たちは前を向いて生きていかないといけない。
落ち込んでも、立ち直って、前を向いて。
そうして色んな生と死と、
誰かを想う気持ちを経て
生きるとは? の答えが見えてくるのかもしれないね。
旅は、まだまだ続くんだろな。
でも急に終わったとしても
後悔がないように
いつでも本気で生きていこうと想う、
そんな出来事。
やりきったら、またやりたい❣️ってなるだろうし
やりきらなかったら、後悔するし
なかなか丁度いいポイントって難しそうだけど。
たくさんの思い出話を抱えて
それを小出しに
酒(のようなモノ)のつまみにして
向こうで悠々と過ごしてくれるとイイなぁー。
お悔やみ申し上げます。
マヤ暦、青い夜の期間に相応しい出来事でした。