俯瞰して見る、というコトのメリット
セラピストであり看護師のオカベアキコです。
今まで思っていたことを、やっと文章にできる時が来ました。
それは、〈 俯瞰して見ることの大切さ 〉について。
きっと
あなたの人生の役に立つ時が来る、と思うので
興味があったら読んで見てください。
(…ちょいと長いよ笑)
まず
人の一番の関心事として、
悩みにもなり、生きる糧にもなりうるのは、
【 人間関係 】
だよな~と思うワケですよ。
人は一人では生きられない、
とはよく言ったもんで
生きていると、必ず人と関わりますよね。
まぁ~、
世の中には多種多様な方々がいて
分かり合える人から分かり合えない人まで
まぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁ
いろんな人がいるワケで。
ホント意地悪な人がいて悩んでみたり
はたまた、
この人がいるから生きていける♡
と思えるような出会いがあったり、ね(^_^*)♡
ホント
色々とあったりするけれど、
時に、翻弄されるワケじゃないですか。
人間関係というドラマに。
それによって泥沼の主人公になったり
人によっては鬱になったり、ね。
その事象を
ドラマに振り回される、というのですが
例えるなら
まるで洗濯機の中の洗濯物のように
グルグルと、ですね
出来事に振り回されている時、というのは
洗濯物のようなんですね。
で、
そんな時に
そうじゃない視点もあるよ、というお話です。
グルグルと振り回される洗濯物じゃなくって
その
洗濯機を上から覗く側の視点に移れる、としたら
そっちの方がイイじゃない?
目ぇ回らないし、
洗濯物ずっと見てなくてイイし
水だらけにならないし、
その時間お茶できるし(笑)。
で、今日は
その覗く側の視点=俯瞰して見る
というのはどうするのか、を
私なりの視点で、お伝えします。
それはね…
その出来事に対して
「あっは〜!おぉ笑!マジか笑笑!」とか
「今度はそう来たか笑笑!」みたいな
笑い飛ばすくらいな感じで
やるな~宇宙( ´∀`)ハハハ
そう来るとは思わなかったよな~( ´∀`)ハハハって
1つのダンジョンとして楽しむくらいの余裕が
多分イイんだろな~と
思うのですよ。
渦中に引き込まれてももちろんイイんだけど、
のめり込み過ぎないというか
自分は
脚本家であって主役ではない、と。
自らそのドラマに入り込みすぎないって
大切なんだなと思うわけですよ。
…いや違う、
ドラマに入り込んでもイイんだけど
心地よくないのに
いつまでも悲劇のヒロインとか
演じてちゃダメなのよね。
「私ってどうしてこんな星の元に生まれてきてしまったの…?」
とか
「私なんて、ホントダメだ…(๑•́ ₃ •̀๑)モゥ...」とか
「あーー!!もう!!」とか
感じる必要もあるし
感じ切る必要はあるんだけど
感じきって飽きているのに
飽きているなら
まだそこで安心していちゃ、ダメよ♡と。
そのなんで?のギモンを
ふと
じゃ、
「なんで自分は心地よくないのに
そう思うような体験をしているんだろう?」
「なんのためにこの体験をしているんだろう?」
「宇宙は、なんのために私にコレを見せているのだろう?」
と視点を変えるわけですよ。
そうすると、見えるの。
自分以外の世界が。
…見えねーよ。アキコ(=_=)。
んなコト言ったって見えねーよ。
って場合は、
少しの努力が必要かもしれない。
しらない視点を持つには、多少の努力は必要。
何事も、
最初からできる人は、
きっと前世で経験アリなんだよ笑笑
そう思っておいて
知らないなら、知っているフリして
なりきって始めればイイ。
でね、その時に
宇宙の視点で自分をみるのがポイント。
【宇宙が私を応援している姿になって自分を見てみる】のです。
宇宙は、私達の親みたいな存在だから
奉仕しかない。
宇宙は
良くも悪くも
「私(あなた)」が
望んでいる方向に向かうように、
常に奉仕の姿で見せてくれるのです。
宇宙は、
なぜその経験を見せてくれているのか?
そうやって、
俯瞰してみる、という視点を持つコトで
自分を客観的にみることができ、
時に必要な軌道修正できると思うのです。
毎回じゃなくてもイイから、
時々この視点で
自分を見ると、イイかもね♡
そうしたメリットは、
俯瞰して見れたときに感じるよ🎶
最近、めっちゃ
ドラマの渦中にいた私が言う、っていう笑笑。
なにか変化があれば
是非、教えてくださーい(´∀`)