覚悟を決めて本質で生きる!HAPPY LIFE♡

本質で生きる覚悟を決めたら、身体から、ココロから、マインドから。どの角度でもサポートいたします。

親になるということ。子供を信じるコト。

セラピストであり看護師のオカベアキコです。

 

今日は看護師の仕事で気づいた

自分のインナーチャイルドバナシです。

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書くつもりは無かったのだけど、

出来事が自分の中を何度もリフレインする理由を知りたくて

自分でも探って、

気づいたことがあるのでした。

 

 

 

コトを辿ると

先日、ワクチンを打ちにきた7歳の男の子。

 

ワクチン打ちに来たことは本人も分かってる。

 

でも怖くなっちゃって

打ちましょう、となった時に

イヤイヤになっちゃったんですね、

 

まぁ子供には良くあるコトですが

 

今回はお母さんが

「〇〇くん、怖くなっちゃったの?どうする?ちょっと1回待合に戻って休もうか」と

勝手に決めて、でていっちゃったんですよね。

 

コレ、病院側としては

割と驚く行動でして

その後もやりたくないを尊重するママ。

 

たまたま待っている人があまりいなかった時間帯でしたが

当院では結構、稀なケース。

 

子供は

怖いのが1番つよいのもあるけれど、

ある程度知恵が付いてくると

なんと時間を伸ばそうと伸ばそうと

色々と工夫します。

 

でもそれはやる時の恐怖の時間も助長してしまうだけなので

ちょっとした隙に

やる、という反応を見せたので

「よし!頑張ろう!!」と私は診察室に連れて行きました。

 

「ヤダ!やだ!ヤダ!!」

と泣いてしまったけど

終わらせちゃった方がイイと思い、

すぐ終わるから頑張ってやっちゃおう!と声かけして。

 

そしたらお母さんが

「こんないやがってるのにやるんですか!?」

とすごく怒ってしまったんです。

 

お母さんの気持ちもわかる、

けれど私達は医療側として

施行する義務もある。

 

医師から

やるかやらないか、どうしますか?と説明された時に

「この子はADHDの疑いがある子で、自分で納得するまで時間がかかるんです。」

「〇〇くん、この病院はね、待ってくれないんだって。」

と言われてしまった。

 

結局なだめて本人のタイミングをみて、

結局泣き叫びながらも注射しました。

 

結局イヤー!って泣いてるの。

納得できていないのは変わらなかった。

 

納得してたのは、お母さんだけでした。

 

 

この出来事がしばらく私の中を

何度も駆け巡っていました。

 

1つは

意外にも自分の中のインナーチャイルド

 

私も出来れば小さい時にそうして欲しかったし、

もし親になるとしたら、なるべく子供の意志を尊重してあげたい

と思っていたというコト。

 

そして自分が

あまりにもその自分の理想とかけ離れて

医療者側の理由を盾にしてしまっていた

 

つまりは業務に慣れてしまっている自分に

ちょっとしたショックを受けたということ。

 

反省点でもあります。

 

 

そしてもう1つは

自分がやって欲しかったコトながら

 

子供が苦手なこと、嫌なことを

こうやって親が回避してくれていたら

 

いつかイヤなことにぶつかった時に

対処の仕方がわからないのではないかという点。

 

受け答え、診察中の態度など

どれをとっても 

この子は多分、ADHDでもなんでもないと思ったのね。

(あくまで私の主観。勝手にそう思った、というハナシ。)

 

嫌なコトを回避され続けた結果

嫌なことに対しての免疫がないだけ。

 

今は、

どんな場面でも守られる、それでいい。

 

けれど、順番でいうと

親はいつか先に居なくなる。

 

いなくなった時に

自立しないといけない時期に

 

自分の足で立てなくさせちゃうのは

ちょっと違うな、と思ったのです。

 

確実に

そこに見え隠れしているのはお母さんの不安。

 

お母さんが不安すぎて

この子は1人では何もできない可哀想な子、

としてしまうのはちょっと違う。

 

大らかなコと敏感なコの違いは

元々持ちうる個性もあるけれど

 

その差って

 

お母さんが

子供を信じているかどうか

のような気がする。

 

「どうなってもこの子は大丈夫」

 

泣いているから可哀相、

ではない

嫌なことをやってるから可哀相、ではない

 

そこを乗り越えて大きくなれるコなんだ

 

というお母さんからの信頼

すごく影響しているのではないかな、と思ったのです。

 

その時にね、ものすごく腑に落ちた。

 

思えば、私もすごく

母の不安の中に育ちました。

 

(はい、こっから私のハナシです。) 

 

初めてのコだし、

私の母は、一般的に見て

母親に向いていないタイプ。自由人。

 

だからものすごく不安だったし

苦労したのだと思う。

 

その点については

いまものすごく感謝しています。

 

よく頑張って母親でいてくれたな、と。

彼女の性格を考えると

とても大変だったと思う。

 

だからそこは愛でしかないの。

 

でも

私はその母の不安をダイレクトに受けて

生きてきたなぁ、と思う。振り返ると。

 

だから常に不安だったし

自分は弱い子だと思っていた。

 

小さい時に

あまり個として信頼された記憶がない。

 

どっちかと言えば、

「大丈夫かな、この子。」

「ちゃんとできるかな」と

 

心配という愛だったんだよね。

 

それも愛。

 

いまならわかる。

 

でも私が向けて欲しかったのは

信頼の愛。

 

 

大人になってから

 

母は一時期、早く結婚して欲しかったようで

「何処の馬の骨でもイイから誰かつかまえて結婚してよね」

と私に言っていました。

 

 その度に

大人になった私は

内側の子供の私とともに泣いていました。

 

結婚=人並みの幸せ

 

っていう価値観なんだろうけれど

世間体しか気にしていないような。

どこに自分の娘の幸せを願わない親がいるんだろう、と。

 

 今となっては、

 

それも母親の語彙の少なさというだけで

根本は心配の愛だったこともわかるし

 

私は自分を幸せにするコトを優先できるようになった

つまり私は私を信頼のできるようになってきたので笑い話(笑)。

 

しかもそのタイミングで

もう母もなにも言わないもんで、不思議(笑)

結局、私の不安でもあったのだろうけれど。ね。

 

それでもやはり言われてイイ気はしないよなぁ。

 

 

私は子育てもしたことないし

何も語る資格もないけれど

子供の視点はいつまでも持ち続けている

いわばピーターパンシンドローム、みたいなところがあり。

 

その視点から見ての、

子育ての極意をお伝えすると。

 

誰かと比べるのではなく

個として目の前にいる子を愛する。

 

その時にできる精一杯の信頼をむけて

目の前の子と関わる。

 

そしてそれは自分と向き合うことに繋がるのだとおもいます。

 

子育てってきっと想像より大変。ですが

シンプルに、その2点が極意だと思うのです。

 

子供が求めているのは、愛されることと信頼。

そうじゃない子もいるだろうけどね。

 

私なりのこの極意を、

本日出産の親友ヤスコへ捧げます。

 

ヤスコ、おめでとう。

 

でも、ヤスコはそれが自然にできている事だと思うから必要ないと思う笑笑

元気いっぱいの子育てを、隣で見せてください♡